世紀の東京大改造の進行を背景に、それらの全体像や個々の開発事業を横断した共有と共創の場として都市開発に関わるデベロッパーとクリエイターにより2019年から始まった「202X URBAN VISIONARY」。今年3月、第6回を迎えました。
今回は『TOD都市と移動のこれから』をテーマとして、オンライントークセッション形式というかたちでの開催となりました。
参加メンバーは初回から参加の建築家、豊田啓介さんをはじめ、東急でまちづくりに携わる山口堪太郎さん、森ビルタウンマネジメント事業室で現在は虎ノ門地区の開発を手がける杉山央さん、三菱地所でエリアマネジメントを担当されている金城敦彦さん、三井不動産開発企画部の雨宮克也さんが参加されました。また、東日本旅客鉄道(JR東日本)で品川・高輪周辺開発に携わる村上祐二さんも初参加されています。このほかクリエイター向けシェアオフィスco-labを企画運営し、今回事務局として参加の春蒔プロジェクト・田中陽明さん、モデレーターは日経クロステック・日経アーキテクチュアの山本恵久さん、司会進行はパノラマティクスの齋藤精一さんで進められました。
YouTubeで配信され、チャットでも大いに盛り上がったトークセッションの様子をお伝えします。
【登壇者】
齋藤精一(パノラマティクス主宰)【司会進行】
豊田啓介(noiz 共同主宰/gluon 共同主宰)
山本恵久(日経クロステック/日経アーキテクチュア 編集委員)
田中陽明(春蒔プロジェクト株式会社代表/co-lab運営代表)
村上祐二(東日本旅客鉄道株式会社事業創造本部品川まちづくり部門 都市計画・エリアマネジメント グループリーダー)
雨宮克也(三井不動産株式会社 開発企画部 開発企画グループ長)
金城敦彦(三菱地所株式会社 エリアマネジメント企画部 専任部長)
杉山央(森ビル株式会社 タウンマネジメント事業室 新領域企画部 課長)
山口堪太郎(東急株式会社 経営企画室 経営政策グループ 課長)
まずモデレーターの齋藤さんより、なぜ今回のテーマがTOD(Transit Oriented Development)なのかについて語られました。背景には、やはりコロナ禍があるようです。
齋藤:今は働くのも自宅か、もしくはワーケーションとか、住む場所自体を変えたり、もしくは事務所がサテライト化して分散化したり、本社機能を移したなど、いろいろニュースで見たり、みなさん感じられているところがあると思います。
そういう意味では、移動といっても電車だけでなく、BRT(Bus Rapid Transit)など、移動と都市のこれからをいろいろ考えていきたいと思います。
そのなかで、「都市集中型 VS 地方分散型」ではなくて、それをどういうふうに混ぜていくのか、もしくはライフスタイルを超多様化して個人個人の働き方、住み方、もしくはその人の目指すQOLに応じて、多様化できるようなインフラをつくっていくのがこれからの課題ではないでしょうか。
これまで5回行われてきた「202X URBAN VISIONARY」は、参加デベロッパー各社のイベントスペースで行われてきました。それが一巡した今回から、運営体制を変えています。実行委員としてこれまで携わってきたco-lab田中さんによれば「今までの議論を実装することを目的にして、このシリーズを続けていきたい」とのこと。
齋藤:「VisionaryからVisional Actionへ」ということを思っています。これからなんとかしてアクションを起こしていけないかなと。
今日も最終的には各社デベロッパーがバラバラではなくて、一緒にできるところはやっていこうとか、もしくはもってないものをもっているところが提供するとか、そういうものを、将来的にはつなげていきたいなと思っています。
より具体的な議論への期待がふくらんだところで、今回登壇される方の自己紹介を含めたプレゼンテーションに続きます。
まずは日経クロステックの山本さんから。
山本:TODという言葉、あまり耳慣れない方もいらっしゃると思うんですけど、2年ほど前に日建設計さんを交えて座談会を行ったときに、実はTODはこの10年ほど中国などに対する日本の輸出パッケージになっていると。身近なところでは山手線各駅、二子玉川などの開発が進んでいますが、沿線型、郊外型を考えても間口の広い話でもありますし、これからの進化形もあると思います。東京の主要な駅はかなりTODの要件を満たしているとも言われていますので、身近な駅の在り方として聞いていただけるといいと思います。
続いて、今回初登場のJR東日本・村上さんへ続きます。
村上:私がJR東日本に入社したときには、東北地方の仙台や青森で鉄道輸送改善、駅周辺整備を担当していました。その後、首都圏のターミナル駅の開発、都市区画の関係を主に担当しています。今は、高輪ゲートウェイ駅周辺の街づくりにこの7年ほど関わっています。
高輪ゲートウェイ駅は、もとは昭和の時代からある品川車両基地の再編なのですが、東西がずっと分断され、なかなか行き来もできなかった状況でした。この跡地の利活用も含めて東西をつなげ、世界ともつなげ、東京、あるいは地方をつなげる高輪ゲートウェイ駅をつくっていくなかで、今回コンセプトとして「グローバルゲートウェイ」を掲げています。世界から、あるいは地方からもぜひ遊びに来ていただいて、成長していけるような街をつくっていきたいというところです。
さらに、3月14日で開業1周年を迎えた高輪ゲートウェイ駅の話が続きます。
村上:駅のデザイン自体は隈研吾さんにデザインいただきまして、特徴は大屋根と日本の折り紙をモチーフとした駅舎になります。日本の障子をイメージし、大きなガラス面を使っているので、駅から街、街から駅を見渡せる。やっぱり駅と街を一体化していきたいというところが最初のスタートです。
駅構内は無人決済店舗や駅ナカのシェアオフィス、移動や案内などさまざまな機能を負うようなロボットの認証実験もやっていますので、TODという意味では、駅からこういった実験をして街に広げていきたいと考えています。
まだまだ開発が続く高輪ゲートウェイ駅ですが、JR東日本さんはTODについてどのように考えているのでしょうか。
村上:品川・高輪においてTODとして何をやっているかといえば、1つ目は「Public Transit」です。改札が2階レベルにあるのですが、駅を基点としてオープンエアの歩行者広場をつくっていこうと考えています。これから通行、移動、交流、あとは駅を眺められるスポット、360度見渡せるような、いろいろ実験にも使えるような場所をつくっていこうと思っています。
また、交通建設は鉄道事業者としてもしっかりつくっていかなければいけないところですので、タクシー、バス、自家用車などはビルの中にビルインといった立体道路などを使いながら、こういった機能を入れているところです。
「TOD1.0」や「TOD2.0」は勝手に名付けたものですが、「1.0」は私の感覚では国鉄だった時代です。法律の壁もあり、駅の外の街にはほとんど手を出せませんでした。「駅は駅、街は街」という時代があって。それが「2.0」と勝手に定義すると、「駅まち一体型」など、「まちの核」になっていきました。
高輪ゲートウェイは「TOD3.0」以降の話だと私は思っています。「駅まち一体の進化」ということで、駅勢圏がより密に一体になってくる街になる。シビックプライドとしての象徴的な駅として、この街で働きたい、この街に住みたい、この街で遊びたい、この街で実験したい。そういったものができるといいな、そういった感覚をもってもらえるといいなと思っています。
あとは「Walkable」。全体をデッキでつないで歩いて楽しいというように、みんなそれぞれにいろんな居場所をつくっていこうと思っています。居場所があるとか、居心地がよいとか、そんな街をつくっていきたいというのがTOD3.0のイメージです。
今までは「集う駅」。これからは「繋がる」というキーワードでやっていこうと思っています。駅が繋がる、街の暮らしのプラットフォームになる。駅や街の情報もシームレスになると、駅勢圏は物理的にも今後はモビリティが繋がったりします。利便性でもMaaSの話も含めて駅勢圏が拡大して、駅勢圏自体が沿線にも街を拡大して暮らしを結びつけていく。そうしたことは、JRもこれから取り組んでいきたいと思っているところです。
「街、TODはどうやって広がっていくのか」は1つの論点かなと思っているところです。
村上さんは「高輪ゲートウェイ駅はTOD3.0」と言及しましたが、「TOD4.0」も考えているようです。そのための課題も指摘します。
村上:街づくりと移動の関係性を考えたときに、都市の構造は国の政策でも「コンパクト・プラス・ネットワーク」や沿線まちづくりなど、国交省も謳っていますが、感覚的にはインフラの投資はけっこう重いので、都市計画のコントロールも含めて都市構造が変化するのはなかなか難しいと感じています。
相変わらず郊外や地方ではロードサイド型開発が進んでいますし、中心市街地の衰退問題は自主的に緩和されず、よくなったわけでもありません。政策だけではなかなか変われない側面もあるというのが、私の感覚です。人間が心理的に「ロードサイドのほうが便利だよ」と感じている以上、やはりコントロールしきれてない面もあるのかと思っています。
ですから、人の暮らしの目線で考えることが必要です。TODが駅と街の関係から、沿線と土地開業などへ拡大解釈していくと、人がここで暮らしたい、自然に触れながら働きたいといった利便性や快適性を高めていくことができるのではないでしょうか。そのときに、各開発事業者、鉄道事業者、各行政、国交省などの役割分担はどうあるべきかを考えるという点が、私がモヤモヤしている部分です。
齋藤:駅ナカや駅の話だったのがだんだん街の話になっていっていますよね。だんだん拡張して沿線の話になった。沿線開発は東急さんが昔からされています。だけどこれからJR東日本さんの視点でいうと、高輪ゲートウェイの開発からさらに新幹線でつながっている東北のほうも、インフラとしてもっと綿密につながって、あたかも隣にあるかのように街づくりを全体的にしていくという方向なのかなと思いました。
全国に路線が繋がるJRのTODに対し、関東中心の東急はどのような開発をしているのか、山口さんに話が移ります。
山口:JRさんは国鉄時代のころ、「駅から外に出られない」と言われましたけど、東急電鉄はどちらかというと、「駅がないところに街をつくって、そこに駅をつくった」という順番なので、そこを掛け合わせていくと面白くなるかなと思いました。
駅があって周辺を開発するJR、まだ線路の通っていないところへ街をつくり鉄道を通す東急。同じ鉄道事業者でも街づくりのアプローチがまったく異なるということです。
東急・山口さんの話が続きます。
山口:我々は「郊外に住宅地をつくろう、そこに駅をつくって電車を引こう」という話から始まった会社になります。
戦後、本格的に田園都市というのを地域の方と一緒に開発してきましたが、例えばたまプラーザ。本当に野山を地域の方と区画整理して住宅地をつくり、80年代にショッピングセンターをつくって、2010年に今のかたちにしました。
根幹にあるのは「1人ひとりが自分らしく生きて幸せを実感できるように」ということです。東急はそのための手段として住宅地と交通から入って、生活サービスを足して、今は子育てや働き方に合う機能を足していくというプロセスになります。
東急のTODに関して言えば、「human-centric(ヒューマンセントリック)があってのTOD」ということです。東急沿線で今暮らしている540~550万人の思考が多様化していくなかで、駅と鉄道というよりは、生活が多様化していくときに何に対応していかなければいけないかを考え、選択肢の幅を増やしていこうとしています。
駅周辺開発をするときに、一緒に不動産開発を掛け合わせていくのが一般的ですが、我々は逆からつくり変えているというかたちで、点というよりは面で触ってきたのが東急の特徴だと思います。
齋藤:東急さんは二子玉川の開発を手がけられていますが、開発当時、職住近接、職住遊近接のようなところをつくっていこうというイメージを受けて、二子玉川が変わるんだなぁと思いました。川の近くで働くのは確かにアリだなと。自分は神奈川側に住んでいて東京に来るのですが、ごみごみした都心部ではなくて、エッジの部分で川があって。そのころの鉄道の役割と今の鉄道の役割は、今と変わっているような気がしていています。
今後、自動運転が普通になると、土地の値段が駅前だからといって高くならないのではないかと。土地としての価値は、少し郊外のほうが高くなるのではないかと思います。
村上さんと山口さんの話を聞いて、鉄道をひいて街をつくるというのも、街をつくって鉄道を引くのも、けっこう時間がかかるじゃないですか。だけど最近の世の中は、ものすごく早く動いていていますよね。特に新型コロナという状況になって、すぐに対応しなければいけない。でも、街も交通もすぐに対応するというのは難しいと思うのです。
新型コロナの流行により、出勤や対面授業が当たり前だったのが、テレワークの推進や学校のオンライン化など、対応せざるを得なくなっています。そういった側面から、三菱地所の金城さんによる本日の話題「社会変化への即応性、先駆性」へと話が移ります。
金城:自分が担当している大丸有(大手町・丸の内・有楽町)の紹介の前に、三菱地所の事例で説明すると、大阪の北ヤードと呼ばれていたエリアに〈グランフロント大阪〉をつくりました。これは大阪駅、梅田駅に直結する新しい軸線をつくって、新しい都市機能を連結させるというタイプの街づくりです。
続いて〈シーパルピア女川〉。ここは海運支援とほかの商業施設との連携を弊社としてサポートさせていただいていますが、終着駅の女川駅そのものも非常に象徴的なつくりをしています。女川駅から海への連続するシークエンスをつくり出すものです。ここは地元のお店や新しい価値を提供するお店などを入れていくというかたちで、ドーンとものをつくってしまうのとは一線を画す、今までの街の文脈と記憶をつなぐようなことをしています。
続いて〈みなとみらい〉ですね。ここは埋立地で港湾施設だったところを市街地にしていったところですが、「みなとみらい線」という新線が建設されて、横浜や日本大通り、元町中華街といった既成市街地と繋がり、その地下駅をこの開発の中に内包しています。
大丸有は、これらとタイプが違います。
新橋~横浜に鉄道が開業し、秋葉原までは電車が来ていたという時代に開発が進んでいきました。先に市街地ができて、そこに国鉄が入り、鉄道院が入り、それからさらにそれに連動するように開発エリアが広がり、そしてさらに地下鉄が入っていきました。最初は水運もあったようです。街と鉄道が肉体と神経系や血管のように絡み合う、そんな街になっています。
特に地上に出ている東京駅をはじめとする駅と、街づくりをうまくシンクロさせるという取り組みをしてきたと思います。
鉄道というのは、例えば「地図をたどると隣町とつながっているな」とか、「その先は東北とつながっているな」っていうのが、頭の中でイメージしやすい移動手段だと思います。社会生活の中では一番頼りになる存在だし、社会や都市を牽引するような役割ももっていました。これまでは軌道交通や駅のそうした安定性、固定性、交通を円滑にするための独占性などが、いいほうに働いていたのだと思います。
一方で、線路のあっち側とこっち側とか、改札の向こう側とこちら側とか、そうした仕切りとか分割もあります。今後、移動を伴わないコミュニケーションが併用される時代で、丸の内界隈でも実験をしていますが、自動運転、あるいはパーソナルモビリティが進化していくと、人の行動の仕方も変わっていくのだろうなと思います。
しかし実物に触れる、例えば芝居を見るとか美術に触れるとか、人と直接会って語る価値、買い物に行く、食事をすることを含めて移動の手間も楽しみだったりしますし、その要素がなくなることはないのではないかなと思っています。
ただやはり、非常に重い装置でありますので、社会の変化、移動手段の多様化、それから働き方の変化や進化に対してどういうふうに反応していくのか、リードしていくのかとなります。昔は駅というものが文明の象徴で、文化を享受することを社会に伝えるショールーム的な役割が、TODの中にあったのだと思います。ですが、これから働き方や集い方が多様化する中で、どうわれわれがその効果を社会に示していけるかは変わってくると思います。
鉄道、駅、その周辺がもつ要素や行為は新しい時代も変わることがないという意見には、納得する方が多いでしょう。
話は、大丸有の中で主要な役割を担う〈東京駅〉へと移ります。
金城:写真は東京駅と、駅からつながる行幸通りです。駅前につくった広場的な空間に、人が集います。そこに居たいと思える空間があるからです。そこにたたずむ価値とか、ここに降り立ってよかったなといったことを思える、1つの象徴の空間だと思っています。
こういったトランジットと、広場的な要素と実際の都市活動。それらの関係性をうまくつくっていくことが必要ではないかと思っています。
東京駅の整備、駅前広場の整備、そして行幸通りの整備、周辺の開発事業を、JRさんだったり、東京都さんだったり、民間事業者がそれぞれ協調しながら進めているということが、大丸有の特徴ではないかと思っています。
スマホの進化に負けないように、TODを担う者として時代に新しい価値を提供していくにはどうしたらいいか。まだ確たる答えがあるわけではないので、今日もみなさんと一緒に議論できればと思っています。
「3人のお話を聞いていて、TODのあるべき姿がだんだんと見えてきた」とモデレーターの齋藤さんは話します。
続いて、三井不動産の雨宮さんからのお題「コロナ、自動運転、そしてTOD」へ。
「東京はどこへ行くにも30分」ということと、自動運転の関係とは?
雨宮:村上さんのお話があったように、我々デベロッパーは駅というものがあって、そこの周辺で仕事をしてくる、先ほどのステージでいえば1.0、2.0。そういう時代だったと。なかなかそういった意味ではTODといっても、どうとらえたらいいのか、そもそもあまりイメージがないところがあるのかもしれません。
その時に考えたのが、サンフランシスコから来ていた友人が言った「東京はどこに行くにも30分」という言葉です。ある意味当たり前の話なんですけど、横浜駅に行くのにJRで東京駅から28分ほどです。
それに対して、例えば私が金城さんのいる大手町に打ち合わせに行こうと日本橋から移動しようとすると、もちろんタクシーうまく拾えれば早いのですが、意外と時間がかかるんですよね。メトロを使うと、日本橋に銀座線で出て東西線に乗り換えて、それで千代田線の下を歩いていくような感じになって、25分くらいみておかないといけない。これは街の中の、街から街の移動であって、今でいうと「ラスト1マイルの移動」です。街について今課題になっている自動運転と超小型モビリティの領域が、ここになってくるかと思います。こんな移動のことを頭に入れながら、「TODって何なんだっけ」と考え直してみました。
弊社の佐々木が書いた『まちづくりの知恵と作法』という本があるのですが、25年以上経って改めて読んでみると、面白いことが詰まっているんです。
その中に「街づくりは我が家をつくる作業に似ている。玄関は駅」「客間は名所、廊下は路地、茶の間は商店街」とあります。玄関はその家にとってインターフェイスというか入り口で、外への接点なわけです。
人の家に遊びに行き、玄関を入るとその匂いとか雰囲気とか、いろんなものが特定されて、それはちょっと自分の家とは違う。同じように駅の周りには歴史を踏まえながら、さまざまな用途のものができてきている。このことが街の特性だし、駅のカラーを出していると思います。
駅を中心に開発していくというステージが狭義のTODという話になってくると、ともすると、ブラックホールに吸い込まれていってしまう感じがあります。街への接点よりも、駅というものに街が吸収されてしまうのではないかという怖さも少しあるのかなと思います。
駅というのは便利な場所で、そこでいろんなものができればそれはもう本当に便利だと思います。ワンルームマンションのイメージで例えると、食事もできて、寝て、数歩でトイレにも行けて。ただ、そうした便利さが常だと、玄関で生活しているようなことになる。それは人間の豊かさという点でいうと、やっぱりつらいんだろうなと。
そうしたことを考えると、これだけ整備された日本のインフラとしての鉄道の駅を改めて玄関と捉えて、改めて再整備するというのがこれから必要ではないかと思っています。
先ほど齋藤さんにご指摘いただいたように、新しい駅との関係性を考えるときの違う要素として、自動運転が入ってきます。駅前広場の設計は、相当苦しいのですね。近くに駐車場を確保して、ボリューム的にも景観的にも機能的にも、非常に負荷が多い。それが自動運転になれば、基本的に駐車場の問題や駅前広場のスペックなどもまったく変わってきますし、そもそも人の動き方が全然変わります。
みんな「自動運転って、まだまだだよね」というイメージがあると思いますが、コロナで、さまざまなことが前倒しにされました。要素技術としてはあっても許認可の関係や社会通念上できなかったりしたことが、このコロナ禍で「実はできてしまうじゃない」みたいになってきました。自動運転も、さまざまな壁が取り払われると、早い時期に実現できるかもしれません。今からこのTODの中で、街との接点にアクセスするものとして具体的に検討する段階に来ているのかなと思います。
齋藤:各社さん、鉄道をもっているところと、もっていないところ。鉄道を主にして開発するのかどうか。線路や駅って超固定物で、もしくは日本橋みたいにそもそも鉄道ができる前からあった街に逆に鉄道が来た、地下鉄が来たっていうところから始まって、じゃあどう協業していくのか。もしくは街は街で成長しているところに交通が付いてきてほしいのか、考え方がちょっといい意味での違いがありますね。
鉄道事業者とデベロッパー各社の話が出たところで、最後の紹介は森ビルの杉山さんです。最近の森ビルといえば、虎ノ門。新駅「虎ノ門ヒルズ駅」は、日比谷線全線開通から実に56年ぶりの新駅だそうです。
杉山:TODというテーマで森ビルが何を語れるかと考えました。齋藤さんから前振りしていただいた虎ノ門ヒルズエリアの開発でビルが建ってくる中で、虎ノ門ヒルズ駅というのがオープンして1年が経ちます。そのご紹介の前に、森ビルの街づくりの思想をお話させていただきます。
森ビルではコンパクトシティ、つまり住む場所と働く場所と遊ぶ場所、憩う場所、学ぶ場所が全部徒歩圏にあるというのが街づくりの思想になっています。六本木ヒルズのエリアから虎ノ門エリアまでの一帯が重点地域になっていて、2023年に向けてさまざまな開発をやっています。こういった考え方は一見するとTODと相反すると思われるかもしれませんが、対立概念ではなく、村上さんのお話にあったTODの3.0、4.0に合わさっていく話なのかなと思っています
虎ノ門ヒルズ周辺についてですが、2023年に新たに〈虎ノ門ヒルズステーションタワー(仮)〉が建ちます。すでに森タワーとビジネスタワーとレジデンシャルタワーが今年開業しますが、今年に3棟が建ち、昨年「虎ノ門ヒルズ駅」ができました。この駅の上に、仮称ですが「ステーションタワー」ができるというかたちです。
地下2階に虎ノ門ヒルズ駅ができて、駅直結型でその上に建つビルには商業店舗とホテルとオフィス。その上には、新しい時代の情報発信拠点というかたちで、次の時代の文化施設のようなものを考えています。森ビルとしては、駅の上にビルが建つというケースはこれまでなく、珍しいパターンの街づくりになると思っています。虎ノ門ヒルズ駅は東京メトロさんの駅があると同時に、臨海エリアを結ぶようなBRTの駅舎などをつくりました。羽田とのアクセスを強化して、街づくりを行っています。
我々としては点と点の移動の後に、面で移動するべきかなと思っています。今は皆さん、目的地に対して直線距離で動く行動を取りますよね。森ビルとしては「歩いていて楽しい街をどうやってつくるか」ということを考えています。
齋藤:街中の移動とは、歩いての移動ですか? それともパーソナルモビリティもでしょうか?
杉山:どちらも研究しています。都市型のモビリティの話もありますし、歩いて楽しくするテクノロジーの研究もしています。
齋藤:なるほど。TODのT、トランジットのところの定義は各社さんによりけりというか、社というより街の特性によりけりですね。
駅ができたから、駅の中にいろんなコンテンツを入れて駅ナカというものができた。それが外に染み出して、駅ナカができたから外の生態系が壊れた時代もありました。逆に駅が来たことによってその周りが発展するというやり方もあったり。もともとその街に種があって、駅が来ることによって良くも悪くも変化してしまったという例もありますね。
JR東日本さん、東急電鉄さ、三菱地所、三井不動産、森ビル。各社それぞれの駅と街に対するこれまでの取り組み方や考え方を聞き、似ているところ、違うところが分かってきたところで、議論は後半へ。
後半、最初に議題にする話題として「人間の生態系、快適欲求から見た東京沿線、地方の分散」と「移動を伴う都市活動を支える使命」が選ばれました。
まず三菱地所の金城さんが出された「移動を伴う都市活動を支える使命」について伺います。街づくりを手がける業者が使わない言葉について、金城さんは言及します。
金城:駅と街とのシンクロというと変ですが、少し前までは駅の役割として、線引きすることがあったと思います。でも人は「ここから東京都、神奈川県」と意識して活動するわけではありませんし、ましてや地続きの港区と千代田区、中央区と千代田区では、線引きを意識するわけがありません。
家を出て、最寄りの駅に行って鉄道やバスに乗る。車で移動する人もいるかもしれないけど、公共交通機関で話をさせていただくと、その間にフリーな時間があります。駅に降り立って、職場に向かったり、公園のベンチに座ったり。生活の中に移動もあるし、オフィスと商業施設、都市開発があります。物理的にはもちろん異なるのですが、人からしたら一連の生活の中のことです。
三菱地所は鉄道は手掛けていませんが、開発する側としたら、そうした人たちが駅から施設に入ってくるところも考えるし、施設の中にこもらないでストリートに出たり、ほかのビルやほかの街に歩いて行って、意見交換したり食事したり。移動と生活、どこでどう働いたら一番クリエイティブなことができるか、社会に価値を提供できるかということを考えながら開発しています。
昔は、郵便というと鉄道で運んでいたので、中央郵便局は駅のすぐ近くにありました。それが今、東京駅前の〈JPタワー〉や〈KITTE〉になって役割を変えているんですね。これは非常に大きなサイクルの中で役割を変えているのですが、東京駅前広場も歩行者の空間につくり変えました。そして、皇居側につながるシークエンス景観をつくっている行幸通りも歩行者中心とした使い方が常態的にできるように、そこにいることそのものが快適になるように役割を変えてきました。
どうしてもトランジットもビルも固定性があるので、なかなか大きな空間変容は難しい。それでも動きを止めては、いけないのですよね。僕たちは街づくりに関して「完成」という言葉を使うことはありません。進化し続けないと、どんどん劣化して社会から取り残されてしまうからです。ずっと人と都市に対する視線を絶やすことはないし、絶やしたら社会的な使命を放棄してしまうことになると思うので、そこはずっと役割を考えていかないといけないと思っています。
鉄道は移動を支えていただいている基幹的なインフラですが、鉄道事業者さんは車内でも仕事しやすいように車内でWi-Fi使えるようにするなど、進化させています。
最近ではレジのないコンビニがありますが、ラッチ(改札)のない鉄道駅ができるかもしれませんし、鉄道駅の中に、例えばホームの横までパーソナルモビリティが迎えに行くことができるようになってくるかもしれません。
そうするとますます駅と道路と都市が、位置づけや役割、つくり方を変えなければいけないと思います。デザインという言い方を我々もしていますけど、そうした可能性にふたをしないで議論していきたいと思っています。
ここで、齋藤さんからどうしてURBAN VISIONARYを始めようとしたのかが語られました。
齋藤:もともと僕がURBAN VISIONARYという会をつくってやりたいなと思ったのは、例えば日本橋でこういうことをして、東京駅周辺でこういうことして、品川駅とか六本木周辺とか渋谷ではこういうこと、とみんなで同じようなことをしているので、横断式に良くしていこうと思ったのです。
今日来ていただいた5社、プラスアルファで僕とか、田中さん、豊田さん、山本さんのジャーナリズムの視点で、どう横断型にしていくかを議論したかったのです。
金城さんが手がける大丸有に関しては、夜間人口がほとんどいません。基本的には働く場所であり、商業施設があります。一方で森ビルさんはもともとアークヒルズも六本木ヒルズも、職住近接でつくっています。中で完結するような方法を取っておられますが、杉山さんは金城さんの話を聞いてどう思われますか?
杉山:森ビルの場合の理想は、職住近接で働く場所と住む場所とが一緒ということですが、全員このエリアに住まわれるわけではありません。生活のスタイルも違うし、住居の数は限られています。
そうした中で今の金城さんのお話を聞いていて、おっしゃる通りだなと思ったのは、機能が複合化すると、街の中に遊ぶ場所とか勉強する場所とか食事をする場所が重なってくる。それを来街者に対して、いかにスムーズに楽しい街としてつなげてあげるかというところが、デベロッパーとしての役割だなと思います。
そこをどうやってやるべきなのか、ハード的に複合的な機能を混じり合わせることは当然やっているのですが、テクノロジーを使ってどうナビゲーションするかもすごく研究をしています。
森ビルさんは街づくりというハード面だけでなく、来街者の行動について、通信事業者とともにARの研究を進めているようです。
杉山:森ビルでは今、ドコモさんと一緒に歩いて都市環境、生活環境、買い物環境が楽しくなるような実験をしています。
みなさんが行きたい場所を事前にスマートフォンで調べて、そこの目的地に向かって歩いてしまっているのですね。そうすると、せっかく複合的な機能が1カ所に集まっている楽しい街であるにも関わらず、目的地にしか行かない。それを解決するためには、ARが一番いいんじゃないかと僕は思っています。
デジタルとリアルが重なった世界をつくってエンターテイメントの分野も入れながら、時刻表を出してリアルタイムに交通の情報を出したり、歩いているとその先に何があるのか、ちょっとワクワクしながら歩けるような、そういう体験をつくったりしています。こういったことがデベロッパーとしては来街者に対するサービスとして、これから求められるのではないかなと研究しているところです。
齋藤:移動を楽しくするために、今のAR街づくり的な取り組みに、豊田さんはどう思われましたか?
豊田:YouTubeのチャットでもいろんな意見が出ています。チケットレスにして改札がなくなるかもしれないという話も出ていましたけど、駅のナビゲーションや混雑を緩和するためというインセンティブベースで、ある程度の人を群として整理をして混雑を緩和させるといったことをする、基礎的な技術のバイプロダクトとして、そうしたことは出てくると思います。
最初の実証実験で正しいことを大規模にやろうとすると絶対機能しないので、エンタメが入り口になるのだろうなと思います。ある程度小規模に、例えば品川駅で実証実験やっていると、実はそれがいろんな機能の実証のための基礎実験になっている。そこでデータを取ることをしていくのだと思います。
こういう都市開発って真面目な領域なので、エンタメと都市開発は切りがちなのですが、すごく真面目なマイルストーンとしてエンタメをどう戦略的に組み込んでいくかって、ものすごく重要な気がします。
続いて、JR東日本・村上さんの「人間の生態系、快適欲求から見た東京沿線、地方の分散」という話題です。東京都心の開発と地方の関係とは、どういったことなのでしょうか。
村上:人間の生態系という話で、おそらく快適の欲求からみて東京沿線や地方の分散は定義されるのかなと漠然と思いました。
うちの会社は特にそうなのですが、コロナの環境下でなければテレワークは難しいというところがあります。でもやってみると意外とできる、という個人の気づき、企業の気づきがあり、デジタルトランスフォーメーションやインフラも急速に整備しないといけません。
そうしたところで、おそらく場所に縛られないとか、ローカルでいろんな生活をしてローカルのよさに気づいたのかなと思います。緑に触れたり、畑を耕すのもいいんですけど、意外と近場でいろんなことをできるということに気づいた。おそらく今後、人間の生物学的や本能的に、住むところや働くところの快適性を求める社会になっていくのだろうなと思います。
そうなると、都市の使い方、地方の使い方、あるいはリアルとかデジタルというのは、0か100かの話ではなく、都合よく使いこなす時代になるのではないかと私は思っています。
そんななかで、東京と地方はそれぞれどのようなバランスに収れんするのかを書いたのですが、生態系や快適性に沿ってわがままにやっていくと、東京はリアル情報に触れる機会が多い。人の出会いやいろんな議論によってイノベーションが起こる可能性が高い。偶然の出会いみたいな場が都心にはきっとあって、何らか東京に行きたいという気持ちはどこかにあるだろうなと思います。
一方で地方にはローカルのよさ。自然や人間らしい豊かさがあって、そう考えていくとそのバランスって、地方100、東京0ではなく、東京都心を開発する意義みたいなのは、このバランス感のなかで再定義する必要があるのだろうなと思っています。
そうすると例えばイノベーション起こせるとか、偶然に出会えるとか、何か新しいものをコラボレーションしてつくっていくとか。なかなか直接会話しないと生まれないものがありそうだなということもコロナの中で逆に分かってきました。そうした場が、逆に開発で入れていくべきものなのかなと思います。
齋藤:これはもういくらでも議論できますので、次に行きたいと思います。
山口さんからの投げ込みで、「国土を対流させる」という話題がありますが、今まで僕が個人的にずっとおかしいなと思っていたのが、「都市VS地方」だったり、「地方は一次生産に近いので、本丸のビジネスがしたいのなら東京に来い」ということです。たぶん、その構造は完全に崩れたと思っています。
それとサーキュラーエコノミーの話で、東京にでは持てない機能、例えばYouTube(リンク)のチャットにもありましたが、工場や農場といったものは、コストが高すぎて東京都心にはできないけれど、電車1本で、もしくは自動運転の乗り物で工場がある場所に着くことができる。生産も行い、ビジネスもする場所は、グローバルに対して開いていくことになると思っていて。
先ほど村上さんや金城さんからのお話にもあった、「人がそのこの場所にいる意味、滞留する意味」と、山口さんからの投げ込みがある「育むべきは、国土を対流すべきは、ヒトと知恵?」というような話で。山口さんお願いします。
山口:何度か、時間と距離の話が出ましたね。30分でどこまで行けるとか、街の中を歩くとか。「スーパー・メガリージョン」という話もそうですけど、単に観光しやすくなるということではなくて、行こうと思えば行ける、この時間で人が会えるようになる、そうした意味で、日本の国土がすごく縮まるという効果としてはあるかと思います。
今の齋藤さんの話ですが、おっしゃるようにリアルとリモートや東京圏と地方は、対立する構造でもありませんし、どう組み合わさっていくかという話だと思います。
2年ほど前、国土計画シンポジウムか何かのときに「世の中変わっていく中でどういう方向に行けばいいのだろう」「テクノロジーが都心と郊外の距離を埋める」という話をしました。テクノロジーというより、世の中はコロナ禍によって、一気に都心・郊外・地方が変わってきたと思います。
もう1つ、どこでも働けるということは、本当にできるんだとみんな分かってきました。むしろそうなると「必要なときに必要なだけ、多様性が交われないか、創発できたらいいのではないか」となり、みんなが東京圏に住んでいなければいけないという状況ではなくなります。仕事の仕方によってどこに拠点を構えて、必要なだけ会えるか、繋がることができるかという方向に変わっていけばいいというのが1つあります。
これは先ほど話題に出た二子玉川もそうなのですが、二子玉川を拠点に働いている方は、毎日都心に行かなくても働ける方々です。だけど行こうと思えば30分でだいたいのところに行ける。そんなことがあって選ばれているのですが、これから先、二子玉川に限らずそういった場所があちこちにできてくるのではないかと思います。
東京と地方の話が進みましたが、日本と海外の話にも触れられます。
「JRさんがロンドンからリバプールまでの電車路線運行のシステムコンサルをやられていたり、東京メトロさんがドバイ鉄道のコンサルをされていたり。世界のいろんなところで日本式のものが使われている」と齋藤さん。雨宮さんのいう「日式TOD」というワードも気になります。
雨宮:なんとなく言葉のつかみで「日式TOD」って勝手に言ったのですが(笑)。
1980年代から90年代にかけて、アメリカのシーサイドなどの開発でTODという話が出始めました。でも鉄道系の方や土木、計画系の方々は「そんなのは日本に昔からある」と言っていました。そうした意味では、日本がやってきたことをもう一度きちんとおさらいする必要があるだろうと思って、その言葉を入れています。
例えばTX(つくばエクスプレス)の開発は、まさに鉄道と区画整理事業を組み合わせて駅前をやっていくという、広義のTODをそのままやっています。それを次につなげていくときに、今あるインフラがどのように発展していくのか。日本式の、次のステージを成果に先駆けて見せなくてはいけないと思っています。そこに都市開発として関わりたいですし。
弊社のお膝元の日本橋では、もはや地下鉄網が東京駅というビッグターミナルを軸に「グレーター東京」の状態になっています。そこでは、1つひとつの都市の機能更新がパッチのようにはまっていきます。それが今度また新しい日本式の「日式TOD」として、広域での連携と狭域での連携と1つひとつの濃度がシナプスのようにつながっていくようなTODです。都市開発の側にいる私のほうからすると、そうしたところに絡んでいきたいという思いがあり、そんな言葉をつくりました。
ここで齋藤さんが当初から疑問を呈してきた「金太郎飴化している」東京について、URBAN VISIONARYの成果を感じる部分、まだまだ期待したい部分の話が出ました。
齋藤: URBAN VISIONARYのディスカッションを始めたのが2018年くらい。この3年の間で、いい意味で各社さんのブランドが分散してきたと思います。
だからこそ、鉄道事業者さんが鉄道だけではなく、杉山さんが言われたようにBRTや、もしかしたらペデストリアンデッキを使ったウォーカブルなど、トランジットの新しいメソッドを入れて、エリアやデベロッパーが違ってもお互いに連携していこう、ということはできないでしょうか?
村上:まさに街全体という意味では、各デベロッパーが連合していければいいと思います。鉄道事業者も、そもそもTODの鉄道事業を海外に出していく話では、ターミナルの開発そのものはけっこう昔から非常に複雑なパズルを各鉄道事業者間や行政を含めて解いてきた実績はあります。そうした意味では、文脈が街までつながっていくというのは、あるべき姿だと思います。
さらに開始からずっとYouTubeのチャットに応え、盛り上げていた豊田さんから発言がありました。
豊田:TODみたいな話は、これから昔と同じようなシステムや価値体系で、街の開発が継続的にできるのかという不安と可能性の両方を感じていると思います。そのなかで今からだと、環境やエコ、脱炭素などはどうやっても外せないことになってくるのではないでしょうか。
鉄道事業は、大量輸送の手段としてはとても効率的です。その辺りも1つの軸にするときでも、鉄道だけに閉じていては結局あまり機能しないでしょう。そうした環境や脱炭素といった軸から、どのような実践がされているかを伺いたいです。
山口:今のコロナの中でも、エッセンシャルワーカーの移動は必須です。東京圏は3000万人が暮らしていて、最大公約数の鉄道が担うところは、やはりずっと続けなければいけません。またもう1つが、カーボンと法律の話です。これから、どれほど再生エネルギーを頑張っていく方向になっていったとしても、どのようにサスティナビリティが生まれるか。エネルギーの話も含めて、多くの人たちの移動の需要という意味では、鉄道や公共交通は、やはり一定程度の役割はあります。
村上:先ほどの自動運転は、今後かなり早く実装するのではないかという話も出ましたが、鉄道との関係が悩ましいと思っています。おそらく東京が本気で自動運転になれば、道路は自動車で埋め尽くされるでしょう。空飛ぶ車を1台1台浮かべるほどの空間もないはずです。そう考えると、少なくとも東京では、CO2、環境、エコという側面から鉄道の役割は必ず残るのではないかと思います。むしろ地方の山間部などでは、2050年頃までに自動運転に置き換わる可能性があると思います。
時代が変われば、交通手段の役割分担も変わる。そのなかで淘汰されれば仕方がないですが、日本のためにもそこは残っていくべきだと思っています。
齋藤:豊田さんが言われたように、鉄道事業者さんはそれぞれ、WELL認証やLEED認証を取られる場合が多いですね。〈高輪ゲートウェイ〉だとC40という世界的な環境連絡会にも参画されていて、2050年までにカーボンオフセットも実現しようとされています。
そして、お話を聞いていていると、なんでも新しいものをつくっていくだけではなく、鉄道も将来的にもっと活用していけるということですね。
最近では、鉄道事業者が電力分野にも参入されていることをご存じの方も多いと思います。さらに今後、日本のTODが発展していくためには何が必要なのでしょうか。
キーワードは「再定義」「連携」「対話」のようです。
齋藤:鉄道、TODを一度再定義すること、もう1つは連携が重要だと思います。
すでにこれだけメッシュワークとして張り巡らされているものの全体を把握して、それに対して運行や移動の手段について「ここは歩きでいいのではないか」「ここは自動運転でパレットでもいいからピストンしよう」といったことをどこかの会社が考えてもらえないでしょうか? 僕は、そのカギになるのはJRさんだと思っています。
村上:JRの駅は首都圏、地方も含めると1700ほどあります。横並びで見ることができるという意味では、立ち位置的にはすごくあり得ることだと思っています。
自動運転の話がありましたけど、そのときに悩ましいのが、駅前の広場は行政であったり建築物であったり、いろんな壁を乗り越えていかないと、鉄道事業者だけで何でもするのは難しいということです。
広場を自動運転用に拡張するのもなかなか手を出しづらいし、建物の中に自動運転のポートをたくさんつくるとなると、それはまた私有地と横断になってしまいます。
そういう意味では我々JRが基軸になっていくとは思いますが、やはりデベロッパー、鉄道事業者、いろんな人が本当に噛み合っていかないと、実際の社会実装まではいきません。そこは課題だと思います。
山口:URBAN VISIONARYの趣旨でもあるのですが、デベロッパー同士、鉄道会社も含めて、局所的な競争はあれども大きく見ればチームだという意識を、どのようにかたちにしていけばいいのか。このメンバーで話していくのは、すごく大事なことだと思っています。特に具体化していくことと、構想や制度にしようという話は、2本立てで必要かと思います。
我々東急も、沿線の自治体さんと1つひとつ包括協定を結んで、この街をどうしましょうとやっていますが、もっと都心でもやっていくことが必要かなと思います。
雨宮:まさにアクションの段階に来ているという意味では、やはり地道に続けていくことがとても大事だと思っています。
公園や道路の利用に関しては、まだまだかもしれませんが、この何年かで飛躍的に進んでいますよね。それにはやはり、今日ここにいるような各社がかなり努力して積み上げてきたものがあります。おそらく鉄道とデベロッパーの競合について、普段は接続協議や近接工事、もちろん鉄道の安全運行があります。そうした意味で、やっぱり品川・高輪はこれからの重要なモデルになるので、そこでぜひトライアルをしていただきたいと思います。
杉山:森ビルはほとんどが再開発事業で、権利者の方たちと一緒に街づくりを進めていきます。再開発事業組合のなかで意見調整をしながら、さらに鉄道事業者との協議を進めていくような、全方位的にいろいろと話を進めていく必要があって、かなり難しい。ただ虎ノ門ヒルズ駅に関していうと、東京都さんやメトロさんと長年の協議があった末、新駅ができることになりました。対話は、重要ですよね。
ビジョナリーからアクションにみんなで移すというところでは、各社が抱えているそれぞれの課題も、こうした場で交換し合うことで連携できるのではないかと思いました。
鉄道事業者とデベロッパー、さらに自治体や行政がどうギアを合わせて連携していくのでしょうか。
東京駅周辺の開発に携わる三菱地所の金城さんは、こう話します。
金城:丸の内仲通りで、基本的に車道だったところを人の空間に変えていこうと「アーバンテラス」や「丸の内ストリートパーク」など、相当な時間を歩行者専用に変える実験的な取り組みをずっと続けています。同時に、歩行者専用道路であるアーバンテラスの中を自動運転モビリティが走行するトライアル実験もやっています。そのように空間の使い方が、テクノロジーを入れていくと変わってくることを追求したほうがいいと思います。
そして、東京駅から駅前広場、行幸通りでの取り組みでは「トータルデザイン」という言葉を使っていますが、JRさんの事業であっても有識者や地元が口を出すことが重要ではないかと思います。東京都さんの事業にも開発にも、みんなが口を出すのです。守備範囲を分けてしまわずに、他人の領域であっても、「こうしたほうがいいんじゃない? うちだったらこうするよ」といったキャッチボールをしながらできたことが、最も価値があることだったのではないかと思っています。
これからも、鉄道と街の関係、TODの将来を考え続けることをしていきたいですね。
山本:トラックを削減して貨物はできるだけ鉄道に、という掛け声は昔からあります。そのとき、単純に貨物の割合を増やすのではなく、新しいサービスと新しい技術で、物流と人流を全体的に見て再設計する。そうした新しいことを考える余地が、まだ残っているのかなと思います。
そしてターミナルに関しては、沿線文化が重要だと思います。池袋だったら東武と西武。新宿だったら小田急と京王、また中央線の広がりの中で、どのような文化を都心のほうに影響させるかは、テーマとしてあると。渋谷では東急さんとJRさんは何ができて、何ができなかったかという話が、1つのサンプルとして勉強したい例だと思いました。
まだまだ話は尽きないところですが、予定時間をオーバーし、いったん締めくくられました。
今回はコロナ禍で一気に進んだ要素があるということ、環境という視点も外せないこと、また今回集まったような鉄道事業者、デベロッパーが課題を共有し、行政やそこに住む人たちと対話していくこと。改めて、多くの気づきのあるディスカッションになりました。
特に「TOD都市と移動のこれから」。身近な駅や街を利用しながらの、これからの展開に、目が離せません。
Text:Akiko Toyoda, Jun Kato